みすの歴史

簾・御簾の起源

中国を発端として日本へ伝来した可能性が高いと推測されている。
紀元前2世紀前後の時代には存在しており、「漢書」に記述されている。
日本で「簾」という言葉が登場するのは「万葉集」であり、 飛鳥時代に詠まれた歌の中に「簾」という言葉が使われている。
また、竹というのは驚異的な成⻑力・生命力、そして魔除けと 太古より不思議な霊力を持つとされており、神聖な植物とされていた。

「君待つとわが恋ひをればわが屋戶の簾動かし秋の風吹く」

飛鳥時代の額田王が詠んだ歌で、これが「簾」という言葉が最初に登場したと言われている。
また、竹というのは驚異的な成⻑力・生命力、そして厄除けと
太古より不思議な霊力を持つとされており、
神聖な植物とされていた。

日本での御簾の始まり

日本ではその後、平安時代の「寝殿造り」室町時代の「書院造り」などの 建築様式の発達に伴い「御簾」が登場する。
住まいの間仕切りとして使用する他、神様と人間界、高貴と庶⺠を隔てる 「結界」としても使用されていた。
建物以外にも牛車や輿の窓にも掛けられていた。
また、平安時代には「枕草子」や「源氏物語」などにも数多く「御簾」 という言葉が登場し、平安貴族の男女が御簾越しに異性を観察する情景や 四季折々の風情なども描かれている。

「遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、香炉峰の雪は御簾をかかげてみる」
「あやしかりつる御簾の透影思ひ出づることやあらむ」

など、御簾は四季折々の風情に応じて室内を演出している事が分かる。
また、平安貴族の男女が御簾越しに異性を観察する情景なども描かれている。

御簾のその後とみす平

竹を使用した簾(御簾)は江戶時代までは大衆の使用が禁止されていた。
一方で、葦(よし)や蒲(がま)の材料を使用した「すだれ」は主に、日除けや目隠しとして大衆も使用していた。
神聖な竹で作る簾(御簾)とは厳格に区別されており、作る職人までも分けられていた。

「みす平」は江戶時代、 寛政(1789〜1801)初期に創業。
京都御所(宮内庁) お抱え職人として従事する。
その後、明治天皇の 東京への行幸の折、行列にお供する。
現在も京都御所(宮内庁)、伊勢神宮、他、全国の神社仏閣の翠簾を手掛けている。